さあもん写真館でなく、さあもん写心館です。
 
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「誰も自分を助けてくれない」という認識は、正しくもあるし、間違ってもいる。
なぜなら誰も、自分のできる範囲でしか手助けできないから。

しかし往々にして、「他者が触れられない部分」をどうにかしてほしいと、人は思う。
そして、「どうにかしてほしい部分がどうにもできなかったとき」、人は頼ることをあきらめる。

その「他者が触れられない部分」が自分の役割になる。
だが、それを受け入れることができなければ、人は役割に押しつぶされる。

自分にしかできないこと、しかしできれば他人に委ねたいこと。
この葛藤をどうにかしたい。

確かに、いろんな人に助けてもらった経験があるはずなのに、印象に残っていることが少ない。
逆に、役割で家族を助けた記憶が多い。

そこに不公平感が生まれる。
「どうして自分ばかり家族を助けなければいけないんだろう」
「どうして自分は家族を頼れないんだろう」
「どうして誰も自分を助けてくれない(と思い込んでいる)んだろう」

いったいどうしたら、自分は正常に戻れるのだろう。

母親が自分の存在そのものに依存してくるのがイヤだ。
それゆえ、母親と一緒にいるだけで居心地が悪い。
母屋にも行けない、まともに料理すらもできない。
そんな状況。

他人が困っていても、自分が手を出せない領域については何もできないのに、自分が困っているときには、他人が手を出せない領域への援助を求める・・・。
身勝手だよね。
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