さあもん写真館でなく、さあもん写心館です。
 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Twitterでつぶやく
仕事に向き合うための気力がないということで、電話カウンセリングを受けた。
電話カウンセラーさんから「保護者的立場に立って、インナーチャイルドの抑圧した怒りを感じてみましょう」というようなことを言われた。

小学校3年の時に、学校の校庭に迷い込んだ弟を自宅まで連れ戻したことが、何度かある。

小学生高学年あたりから、精神的に父親の代わりをさせられてきた感じがする。

中学2年の冬、父親が亡くなったとき。
親戚連中は、葬式のための足りないお金を出してくれなかった。
そればかりか、葬式の終わった席で、母の気も知らずに弟を施設に入れるよう言ってきた。

それ以来、親戚とは疎遠になっている。
自分のいとこが何人いるか、結婚したのが何人いるか、分からぬ。
大事な時に援助してくれない親戚など、頼るに値しないとそう思っている。

その父親だが、生前は自分勝手なことばかりをやっていたらしい。
浮気をしたあげく、絵筆をお尻から体内に突き刺す、なんてこともやらかしたらしい。
酔っ払って河原で寝てたり、母と叔父が車で黒磯まで行って、飲んだくれて酔いつぶれた父親を引き取ってきたという話も聞いた。
それくらい酒が好きで、医者から酒を絶対飲むなと言われている状況でさえ飲んでたというから、酒に狂った大馬鹿者であった。

高校の時には担任の先生に、母親の、職場におけるセクハラの相談に乗ってもらった。

成人後、家の近くで葬式があるたびに、父親の代わりとして葬式の手伝いに行かされた。葬式後の(清めの)宴会の席が苦痛だった。世代が違いすぎて話が合わないのだ。もともと社交的な部類の人間ではないので、ただひたすらつまらなく、苦痛だった。

自動車の運転免許と車を手に入れるも、妹や弟の帰省の足として、また自閉症である弟のパニックを治める手段として、我が家唯一の運転免許保持者は自動車の運転を余儀なくされた。

妹が入院した時も、何度も蓮田まで行かされた上に身元引受人にさせられ、金銭的な援助をし、外出できない本人の代わりに銀行への入金までさせられた。

母親が、定年後の借金返済に対する不安から鬱になり、私がわざわざ役所まで出向いて、精神障害者認定の手続きをした。
その時は、家族とはいえ、他に行動する人間がいないとはいえ、そして誰かが行動しないと事態が悪化するとはいえ、自分のためでなく他人のために仕方なく、行動しなければいけなかったことが嫌だった。
「どうして自分ばかり、他人のために動かないといけないのか!」と。

母親の自己破産のための情報収集(借入額など)のときも、同じ思いだった。
このままだととんでもないことになるのが予見できるのに、本人は何もしない。結局私が行動する以外になかった。

こうしてみると、私は誰かの代わりをさせられてばっかりだった。
そして、その都度誰かに頼られっぱなしだった。
他人を頼るということができなかった。「助けて」と言えなかった。
他人に対しても、自分を頼るなという気持ちでいっぱいだった。

頼りにされてばっかりで、頼りたくても他人を頼れなかった。
それは、頼るべき相手がいなかったり、頼りたくても相手に力がなかったりで、どうにもならなかった。

昔から、自分から頼るのではなく、相手の側から手を差し伸べてほしかった。それは今も変わらない。なぜなら頼ることが嫌いだから。
ここで一言、すべてに対する怒りの言葉を吐く。

「どうして、人が困っているのに誰も助けてくれないんだよ!」

そして、自分が助けた家族(特に妹)に対して。
「俺がお前を手助けしたこと、忘れてねーだろうな。
当然、俺が困った時にはきちんと助けてくれるんだろうな?」 Twitterでつぶやく
コメント
この記事へのコメント
一人ですごくがんばってきたんですね。
2007/08/25(土) 12:36 | URL | しげる #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://thermon.blog82.fc2.com/tb.php/232-62201dc3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。